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水曜日, 12月 26, 2007

冷え性

R25という雑誌を首都圏の人なら知っているだろう。
無料の情報誌だが、政治・経済・スポーツなど時事の話題から、お役立ち情報、知っておくとよさそうな雑学などが、執筆者の気ままな文章でつづられる。

今回その中に冷え性のコラムがあった。。

冷え性は、現在増えているそうだ。

現代人は体を温める暇がないというのが理由だという。朝はコーヒーにパン、ランチは肉食、空調の聞いた部屋でずっと仕事をして、夜は居酒屋で揚げ物で一杯。
これらの食材は、東洋医学では体を冷やすとされているものらしい。
また、空調や入浴も含めて温まる暇がないので、体は冷える一方だという。

これらの結果としてR25の中には、以下の影響があると説く人の話が紹介されている。

  1. 免疫力の低下の結果 突然花粉症になったり風邪ががなおりにくくなったりする。
  2. ふとりやすくなる。
  3. 自律神経の乱れによる肩こりや頭痛がおこる。
  4. 内臓の働きが弱くなり疲れやすくなる
  5. うつ傾向になる。

これらの対策としては、食生活を見直すことを勧めている。
  • 味噌汁にショウガをたくさん入れる。
  • お肉が好きな人は温野菜と一緒に食べる。(にんじん、ごぼう、レンコンなどの根菜)
  • カフェインを含んだ食品をとりすぎないこと。
  • 運動では良く歩いて、せめて腹筋を鍛えること。

ということが大切に生活することがよいらしい。

その他「簡単に体を温める方法」として以下の方法が紹介されている(「冷えた女は、ブスになる」山口勝利/祥伝社)

  • おじぎ体操をする 冷えた時に即効性あり。気をつけの姿勢から90度のおじぎを20回
  • 半身浴をする みぞおちくらいまで心地よい暖かさの湯をはり、20分以上つかる。週3回くらい。
  • お酢をとる お酢には体をあたためる作用がある。卵スープにお酢を足して(酸辣湯)サンラータン風に。
  • 腹巻をする。 内臓を暖めるにはおなかをカバーするのが一番。せめて就寝時だけでも
  • 5本指ソックスをはく 足指の固定を和らげ、血行促進が期待できる。腹巻との併用が望ましい。

そういえば、昔から冷え性だった。

子供の頃は昔の木造の住宅に住んでいたので、隙間風が当然という環境だった。その中で温まるためには、ストーブ の近くに行くとか、炬燵にはいるとか以外に選択肢は無い。昔の木造住宅は、隙間が多すぎて、部屋全体をあたたかくすることはとても難しかったからだ。手足が凍え、寝る前はいつもストーブの前で足を暖めていたのを思い出す。
学生の頃も、木造住宅を間借りしていたが、いつも夜には凍えるほど寒かったのを思い出す。銭湯に行った夜は、帰ってきてそのまま寝れば十分体があったまっていていいけど、そう でない夜は、冷え切った手足を、沸かしたお湯につけてしばらくあたためないと眠れなかった。

でも、今は空調の技術が発達してこともあるし、気密性と断熱効果の高い部屋に住めば部屋全体を暖めることも難しくないので、寒さによって冷え性が苦痛となることも少なくなった。でも、逆に暖めるという意識が薄れているともいえる。体は意外に悲鳴をあげているのかもしれない。

食生活にも気を使う必要があるのだろう。

日曜日, 12月 23, 2007

イベリコ豚  食彩の王国

昨日の「食彩の王国」(テレビ朝日)見られた方はラッキーでしたね。

イベリコ豚の話が事細かに取材されていました。


イベリコ豚というとここ数年高級食材として日本でもよく聞くようになりましたよね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%B3%E8%B1%9A
に概要を見ることができます。

テレビでは、マタンサと呼ばれる、イベリコ豚をおろす行事から、腸詰にいたる作業を報じていました。見ていて、なんて贅沢だろうと感じます。そのマタンサの行事が、村全体の行事として、そして、1年間の食を確保する行事としておこなわれているのが豊かさなんでしょうね。

ポルトガルに住んでいた時によく食べた生ハムのおいしさは、きっとこのイベリコ豚に準じたものだったのかな?と思います。

日曜日, 12月 16, 2007

壊れる町と生活習慣

町が壊れていく。「中心市街地の空洞化」という言葉を最近良く聞くようになった。
また、それがどのような現象なのかをテレビ報道の中に具体的にみかけるようになった。

採算がとれないため、商店街のシャッターがおろされたままとなり、そして、スーパーまでもが撤退してしまった町。
流通の機能を喪失してしまい、住民が食材の調達にすら困る町。
人が集う場所を失い、他人と楽しく会話することが許されない町。
高齢化した方が、1時間以上もかけてあるいて、遠くのスーパーまで買いにいかなければいけない町。
冷たい雨の夜、とうとう途中でうごけなくなってしまった高齢者。

その悲劇の現実を知っておくことと、何らかの対応を行っていく努力は、これから、生きていく上で間違いなく大切なものとなるだろう。生活習慣を考えるときに、まちとのかかわりを考えていくことも必要なのだろう。


NHK「難問解決!ご近所の底力」で、そんな町の姿を報道していた。
大型スーパーの郊外進出競争の影響で、近所にあったスーパーが次々と閉店に追い込まれている問題を取り上げる。以下に番組の取り上げていた内容を掲載する。

三重県の津駅周辺では3月、駅の中にあったスーパーが閉店した。ほかの店はすべて郊外にあるため、住民たちは往復1時間以上も歩いて買い物に行かなければならなくなり、お年寄りは日々の買い物に困っているという。県庁所在地のしかも駅前で空洞化が進んでいるというのは驚かされた。番組ではその他の地域の活動を参考にしながら、、この住民達への提言を行おうという趣旨で編集されている。

まず、無料の買い物バスを運行している堺市の高倉台団地の例だ。高齢者ら住民を、5キロ離れたスーパーまで運び、食材を調達したら、自宅前まで運んでくれるというものだ。撤退したスーパーへの陳情のすえ、出た案がバスを運行させてはどうかという案だ。しかし、バスのチャーター費用35000円/日が課題となったという。必死の金策、10000円、4000円、スーパーの団体21000円が出してくれたという。さらにスーパーでは住民ボランティアが荷物をバスまで運んでくれたり、よりサポートの輪が広がっているということだ。
おそらく他の都市でも応用できそうな策だ。広告収入として、病院、介護施設、高齢者向マンションの企業などに求めたり、スーパーの協力金などの対策が考えれらるだろう。スーパーとの交渉では、アンケート調査を行って数字を具体的にしなければ、うまく交渉できないという。

また空き店舗を利用し、地元の農家や漁師、商店主の協力でスーパーと同等の品ぞろえの復活に成功している茨城・馬渡の例も取り上げられていた。ここでは、スーパーが撤退した空家スペースに、住民が自発的に産地直売上を運営しているというものだ。近所の主婦100人のボランティアで、空家利用の事務手続きやサポートしながら運営している。
建物や冷蔵庫などは、前のスーパーの好意でただで使わせてもらったそうだ。商品は、近くの農家や猟師さんが売りたいものを持ってきて置いて根付けし売る。加工食品も商店街で自営している人たちが、提供する。場所代として売り上げの13-20%を主婦ボランティアに払い、光熱費、事務経費など維持費として使う仕組みだ。売れ残ったら、持ってきた人が持ち帰る。だから、買取する必要もなく、売れ残りを抱える必要もない。
店舗の一部は、趣味の教室を設け、いまや一日200人利用しているという。
素人がやってなんとか受け入れられることはなにか?ということを何回かアンケート調査して、会議を重ねて実現していったという。農家の人にとってみたら、最終消費者の声を直接に聞けて励みになることや、販売のチャネルが広がることが良かったという。最初は12-3人ではじめたのだが、コミュニケーションが広がり、大きな力になっていったという。

スーパー撤退の背景には「中心地市街地の空洞化」という問題がある。車社会が進んで町が郊外に広がる一方で町の中心に暮らしに必要なものがなくなっていくという現象だ。高齢化が進んでいる今、町づくりそのものをかえなければならないという動きがある。

最後に、歩いて買い物ができる街づくりを進めている青森市の例を紹介された。

市の中心部に青森駅に程近い市場には買い物を楽しむお年寄りの姿が目につく。市の補助で作られた高齢者用マンションが市場から1分の場所にあるためだ。フロントがあり、様々な相談にのってくれる。クリニックもあれば、洋服店やレストランなどのショッピングモールもある。
高齢者が歩ける範囲で日常生活がまかなえる。この便利さは受け入れられて、郊外に住んでいたお年寄りが、中心部へ異動している。
ただもうひとつの問題もある。市街地に新しく越してきた人の孤立が深い。かつてのご近所と疎遠になり、友達ができない人もいるらしい。こうした問題を解決するために、地元商店街の有志によりイベントが企画されているそうだ。新しく引っ越した人に溶け込んでいくため、コミュニティー作りを促進する。例えば商店街ツアーを企画したりしている。商店街をめぐり自慢の一品を試してみるなどの活動により、初対面の人たちのコミュニケーションを促進しているとう内容だった。

金曜日, 12月 14, 2007

サンラータン 酸辣湯

関東もだいぶ寒くなってきた。

暖かいものが自然と食べたくなります。なべもいい季節ですが、日ごろの食卓に、いつもの食材なのだけど、でもちょっと変わった感じの料理にしたてたいと思ったら、そんな時にはサンラータンは良いです。
しょうゆ味で、お酢で仕上げるところが、とりあえず、味の目線を変えるのによいのです。

そして、温野菜を豊富に使っているので、体が芯からあったまります。どういうことか、この料理を夜食べると、翌朝起きた時に、布団の中で体が暖かいのがはっきりわかります。

お酢の効用として、ちょっとばて気味とか、マッタリした気分の時の景気づけにもいい。知っといて絶対に損は無い。

一応スープだけど、具だくさんにすれば、おかずといってもいいかのかもしれません。

通常はたけのことにんじんが野菜の具として使われるようですが、たけのこがなかったので、手元にあった大根とごぼうをつかってみました。

【材料】4人分
  • ごぼう 半分・・ささがきにして水につけて灰汁を出す。5-10分
  • 大根 5cm ・ にんじん 半分・・・細切り
  •   (ごぼう、大根は通常はたけのこを使うようだ)
  • 干しきくらげ、干ししいたけ 適当にもどして細切り、戻し湯はダシに使う。
  • 鶏 手羽元 4本  肉をそぎ落として細かく切る。骨はだしをとる。
  • しょうゆ、お酒、みりん、片栗粉、お酢、胡椒
  • 豆腐 半丁5×5mm幅の細切り 長さは3-5cm

【調理】
  1. 手羽元の肉を骨からとる。細いところに包丁を骨のまわりにぐるりといれてからさらに縦に数箇所切り込みを入れると結構簡単にそげる。
  2. なべに手羽元の骨と水を入れて沸騰させる。灰汁をとる。時間があれば、しばらく煮て一度覚ますほうが良い。そんな余裕がなければ、具を仕込む工程の前にやっておくべきことだ。
  3. そいだ鶏肉は1cmくらいをめどに切って、片栗粉をまぶしてまわりにつける。
  4. にんじん・大根はほそぎりに。
  5. ごぼうはささがきにして水につけて5分ほどおく(あく抜き)。
  6. 干ししいたけと、干しきくらげは、砂糖を入れたぬるま湯でもどす(戻し汁はダシに使います)。
  7. 切った野菜、しいたけ・きくらげ類をいれる。しいたけの戻し汁も入れる。
  8. 沸騰したら、しばらく煮込んで灰汁をとる。
  9. 鶏肉(片栗粉付)を入れて沸騰させる。
  10. 沸騰したらしょうゆ、お酒、みりん、胡椒で味付け。
  11. 片栗粉(大匙1)を水(大匙1)溶きして、かき混ぜながらゆっくり入れる。
  12. 豆腐の細切りを入れてしばらくゆっくりかきまぜる。ふっとうしたらしばらく煮る。
  13. 卵を閉じて、まわしいれる。
  14. 卵が固まってきたら、お酢大匙2程度まわしいれる。
  15. できあがり。


片栗粉を肉類につけるのはうまみを閉じこめるため。これをやらないと、すべて水においしさが溶け込んでしまいます。
ごぼうはちょっと味が強すぎるので、好みがわかれそう。
食欲はわきます。
片栗粉のせいでとろみがつき、暖かさがにげません。寒い日にはぴったり。
次の日の目覚めのときの体の暖かさが、冷え性の私にはたまりません。

日曜日, 12月 09, 2007

都市型限界集落

私達は、老いる。これは、どうしようもない事実だ。

できればきれいに老いたい。

このブログのメッセージだ。
でも、実は「老いる」という話には、個人的な努力でどうしようもないこともある。町で取り組んでいかなければ、私達の暮らしが維持できていけないということもあるのだ。そのひとつに、「限界集落(65歳を超える高齢者が半数以上で存続が厳しい集落)」という問題がある。

「限界集落」とは、町が負う一種病気なのだろう。かかってしまうと、なかなか立ち直れな い。ただ、予測して手をうつことはできる。人の「生活習慣病」にたとえてみても良いのかも知れない。結局自ら解決を試みない限りは、悪い方向へしか行かない。予測できるこ とがあるのならば、その前に手をうってみることだ。

サンデープロジェクトという番組で取り上げた限界集落の第二段。
先週は山間部の限界集落を報じていたが、今回は都市部の限界集落を報じていた。今回は、
  • 1960-70年代のニュータウンにおいて同一世代の入居者が一斉に高齢化している実態、
  • 1990年の大店法改正による中心市街地の商業の衰退と住み手の郊外化による中心市街地全体の衰退、
  • 2000年代の合併による財政主体の政策による住民を軽視した政策
に焦点が当てられている。

衰退していく集落に反して、最後、2件ほど成功事例も紹介している。このふたつの事例に共通しているのは、住みやすい町を作っていく根幹には、弱者を含めて人がつながっていくための公共サービス(インフラ)を提供することが必要であるという思想にある。また、他者(特に国)から干渉を受けないことの重要性もあるようだ。

番組の内容を紹介してみたい。



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今、都市部にも都市型限界集落と呼ばれる地域ができつつある。

番組では秋田県の湯沢市さつき町を取り上げる。
町の中に空き家と更地が増えていく。また高齢者だけが住む住宅も多い。平均年齢57.4歳、高齢化率47.9%、限界集落に近い。駅から徒歩20分と近く通勤圏として絶好の場所である。ここが作られたのは1960年代。全国で進んだニュータウン型開発の一つで、、20-30代。1971年には110世帯362人いたその町も、今では64世帯146人と減っている。

多摩ニュータウンも紹介されている。71年に入居が始まり計画人口34万人の町だ。百貨店、スーパーはもとより、小中学校、大学まで整備された。電車で1時間半ほどの通勤圏として名をはせた。だが、計画は伸び悩み21万人、新たな入居者が少なく、当初の住人が年を重ねて高齢化率も高まり、多摩市愛宕3丁目では高齢化率34.4%と全国平均を21.5%よりはるかに高い。商店街もシャッターがしまった店が増えた。

大阪の62年入居開始の千里ニュータウンでは、高齢化率43%を超える区域も出ている。

近年高齢化率が増えた自治体の上位は、60年代頃にできたニュータウンのあるベッドタウン。高齢化率の上昇は40%を超える。ニュータウン型限界集落の到来が近づいている。10年すると今の中山間部の高齢化率においついてしまう。

ここまでは、60-70年代のニュータウンが、同世代で作られた町なので一気に高齢化してしまうという現象だ。これに、90年代の大店法改正による中心市街地の空洞化と郊外化が追い討ちをかけているれいがある。

江戸時代秋田藩佐竹南家の城下町、湯沢市上町(駅から徒歩15分)の例。湯沢位置のお屋敷町だ。このお屋敷町は高齢化率49.3%。小中学生は0。理由は中央の商店街がなくなってしまったからだ。商業がないと生活はなりたたない。1991年外圧で政府が大店法を改正し、大型店の出店を大幅に緩和したこと。これによって、市内中心街のデパートが倒産。さらに2年前に中心街にあった病院まで移転させたため商店街は閑古鳥がなくようになった。
中心街の空洞化で若者は町からさらに離れる。上町の人口は64年には194人の町は75人に減り小中学生は0だ。町の将来を語る人たちには悲壮感がある。
湯沢市は合併特例債などおよそ80億で駅前再開発を行う予定だが、効果があがるかは不明。

60年代型ニュータウン 90年代型郊外化 さらに数年前の合併により新たな限界集落化が起きている。

広島県旧作木村。人口1900人でなし作りが主産業。95年高齢化率41.1%となったため、97年改革をスタート。県から10億円の補助金を得て以下の策を講じる。3つあった小学校をやくばに近いところに統合、体育館と図書館を新築し、村民が利用できるようにして村民が集う中心地を作った。
医師がいる診療所と、村民の健康を普段チェックする保健師二人が離れて働いていたものを診療所の横に保健センターをつくり、保健師と医師が緊密に連絡をとれるようになった。健康管理システム、「すこやかめいと」を導入し、高齢者が自宅で血圧・脈拍などを自宅で測定すると、その情報が保健センターに自動的に送られ、保健師が毎日チェックできるようにした。保健師が異常を発見すると隣にいる医師に即座に相談できるようになっているため、ここに、予防・医療・福祉の一体化が実現している。住民の声は本当にありがたいという声がでている。
また、カヌー公園、レストランなどの施設をつくり、観光客が5000人から78000人(2003年)が6年後になった。
その努力が一変したのは、2004年隣のと合併し三次市となってからだ。合併の結果、診療所の保健師さんの働いたスペースにはもう誰もいない。予算削減のため、二人いた保健師は1人に減らされ、働く場所も役場に戻された。また、同じ部署だった保険と医療の福祉課は、市民生活部と福祉事務所に縦割りに分割された。その結果、保健センターは機能は失われ、医師に住民の情報が行くことはなくなった。
費用面でも無料だった「すこやかめいと」は使用量が300円と有料となり、高齢化率はあがったのに、利用率は3割も減った。観光客も現象、役場職員は55名→14名、市民バスは無料→100円と変わったという。合併により半数以上の住民は悪くなったと感じており、将来を案じている。財政基盤の強化からスタートしているので、個別の対応を遅れたという事実があると市長は弁明している。

作木町岡三渕地区は高齢化率75%の限界集落。交通手段の削減が不安を拡大すると訴える。

更に限界集落を追い込むのが、公共交通の削減・廃止である。
今、国は整備新幹線や空港など大型インフラを推進する一方で、市民の足であるローカル線やバスの廃止があいつぐ。

高知大豊町は人口5400高齢化率51%の限界自治体。この町は、川が流れる中腹に集落が点在しており、車を持たない高齢者にとってバスが命綱だ。ところが町は昨年7路線あったバス路線のうち、年1200人が利用する5路線を廃止した。
一方でタクシー会社に助成金を出して乗り合いタクシーを作ったが、前日予約が必要で、運行も週3日。同じ場所に3人が乗ることが求められ、料金は多くの路線でバスの倍くらいなので利用者は伸びていない。勝手の悪いこのタクシーを利用せず、一般のタクシーを利用したら6000円超えの費用がかかる区域だ。

国が進めてきた同じような年齢、同じような環境の人を集めるという町づくりの脆弱性が浮き彫りになっている。いろんな世代いろんな職種の人がいて初めて足腰の強い町ができる。

こんな中、町づくりに成功している町もある。成功のキーワードは自立した町づくりだろう。

岡山県哲西町
合併前50年で人口が半減し、過疎化に悩んでいた町は、住民と市長が話し合いを重ねて、役場の建替えにあわせて、それまでなかった診療所、保健センターなどをひとつの建物の中に作ることにした。を複合施設「きらめき広場」には、保健福祉センター、役場、診療所、図書館があり、公共的なサービスをひとつにまとめた。補助金を利用すると、ホールは文部科学省、診療所が厚生労働省と縦割りのため、あえてたよらず、自力で資金調達して建設。合併時の条件として診療所と保健センターの機能を残せないなら合併交渉に応じないと元町長が主張したという。
広場の求心力はかわらず、商工会、消防署、信金が近くに移転、JA、派出所も移転を検討している。

富山市(人口約42万円)
公共交通の更なる拡充が行われている。全国の自治体からの見学も耐えない。外国人記者の取材も多い。富山市が全国で衰退する公共交通を軸に町づくりを行う稀有な町だからだ。
5年前に森市長が就任した時、赤字ローカル線をもつ。
富山駅と港を結ぶJR富山港線は年数千万円の赤字とされていたが、北陸新幹線の高架化が決定。赤字富山港線をの廃止してバスにするか、路面電車化して残すかの選択を迫られることとなった。当時の市長の判断は長い眼でみて、公共交通を大事にすべきだと考えたという。富山市には黒字の市電が残っており、将来的に相互乗り入れをすれば、採算がとれるという読みもあったらしい。しかし、鉄道を廃止して地域の足を失うことを恐れたという。車に頼れない高齢者がある時から増えることは確実だ。車に頼れない世代になった時に困ることを訴えた。しかし、事業費は50億円を超え、赤字は2000-3000万円が予測された内容に、議会の中でも疑問も出た。しかもその当時、全国で赤字の公共交通が廃止・削減され国も容認していた。その逆風の中で、いずれくる多くの人たちが車に頼れなくなる世代の危惧をかたったそうだ。
一方、若手に町づくりのアイデアを出させた。都市計画課を中心に21人の若手が部署を超えて町づくりの理念を練った。個々の町を公共交通でつなぐという発想をした。
結果としてライトレールという路面電車が開通。電車とホームを完全にバリアフリーにしているため、高齢者にもやさしい。美しい路面電車は評判となり、観光客も詰め掛けた。クリスマスにはライトアップ。ライトレールができてからは3倍以上の観光客ができた。
駅のネーミングライツを1500万円で売り、ベンチにも一口50000円でメッセージを残せる制度など様々な努力を展開。
その他、在来線の高山本線を16本増便しJRに1億5000万円を支払うことにした。増えた運賃収入は市にもどしてもらうしくみだ。
地元民間の民間バス会社経営の24路線を支援。終点には高齢化率40%を超える集落もある。3路線で最終バスを10時→11時としてもらい、赤字を市が補填。
65才以上の運転免許証返上者に、ライトレール利用の20000円のプリペードカードを配るなど、増加する高齢者運転事故の対策とすることとした。
さらに、2路線ある路面電車を環状化して、ライトレールと相互乗り入れを行うなどの対策も打ち出しているという。


コンパクトシティというものの、ひとつの解決策だ。住民を中心にあつめるのではなくて、集まっている集落を効率的につなぐ手段を公共的手段により提供するという内容だ。

木曜日, 12月 06, 2007

腰痛・坐骨神経痛対策

持病の腰痛が始まってはや2月。坐骨神経痛に変わり、中々やまない。

いつもなら、プールで水中ウォークをすれば1月で直るのにもう2月だ。
症状は通常時は全く問題ないのに、ある一定の動作(腰を前にまげるような作業)をすると、お尻の奥がいたみ、足先までしびれたり影響することがある。特に朝起きた時がつらい。
体を曲げられないので靴下を履けない。

以前腰痛で整形外科に通ったときに受けた先生のアドバイスを、自戒を込めて再度自分に言い聞かせてみる。


1.同一姿勢を長く続けない。

同一姿勢を続けると負担のかかる筋肉がかたより筋肉の疲労が生じやすく、脊椎を守る筋肉の機能が損なわれる。従ってこまめに姿勢を変える必要がある。具体的には以下の行動が必要だ。
  • 座位は足が楽な分腰に負担が大きく、仕事で座位を続けざるを得ないという方は30~40分毎にわずか数分でもブレイクする。
  • また長時間のドライブの際には、こまめに休憩をとったり後部座席で横になったりして脊椎に対する負担を軽くすべきである。

2.重力方向の衝撃を避ける。

脊椎の老化は椎間板から始まると言われており、脊椎に関する多くの病気は椎間板の変性と関わっている。椎間板は椎体と椎体の間の板でクッションの役目をしているので、飛び降りる、駆け下りるといった椎間板に衝撃が加わるような行為は避けるべきで、日常生活の中で以下の点に注意する。
  • 階段の下りは一歩一歩ゆっくりと降りる。
  • 自転車やバイクも好ましくない。
  • どうしても使わざるを得ない場合は段差での衝撃だけでも腰や首に来ないよう気をつけるべき。
  • バスの最後部座席も結構衝撃が来るので避けたほうがよい。
  • 乗り物はあまり脊椎に良くない。
  • 靴底の柔らかい、クッションの良いウォーキングシューズを履いてなるべく歩くようにする。

3.パソコンはデスクトップ型を使う。
ノート型パソコンはキーボードを打つ際どうしても前のめりになるため首にも腰にもよくないのでデスクトップ型のほうが良い。

4.後ろに反る姿勢は避ける。
  • 首の悪い方は目線より上を見て作業するのを避ける。
  • 電球の取替えや洗濯物を干す際、上の方の拭き掃除などは足場を高くして行う。
  • 腰痛でもむやみに後ろへ反るのは避ける。

5.その他
以下の動作ははいずれも腰の前への反りを減らす効果があり、それが腰への負担の軽減につながる。
  • 首が悪い場合、肩が凝っても首をぐるぐる回さずに肩を上げ下げしたり肩を回したりして筋肉をほぐす。
  • 腰が悪い場合、腰掛けている時には脚を組む。
  • 台所など立ってする仕事の時は10センチ位の高さの足台を用意して交互に足を乗せて仕事をする。


これは、症状が消失するまで続ける。ただし、症状が消失したら、逆に時々腰を後ろに反ったり、腰の前反りを保つようなランバーサポートのある椅子を利用する。

日曜日, 12月 02, 2007

限界集落

サンデープロジェクトで、限界集落を取り上げていた。

限界集落とは住民の半数が65歳を越えており今後存続することが困難な集落だ。冠婚葬祭など自分達の力で維持できなくなる。55歳以上が半数を超える場合を準限界集落という。 限界集落は国内に現在7878あるとされており、その中で10年で消滅するとされる集落は423あるという。

近年、あちこちで雨も降らないのに山が崩壊するという現象が怒っているが、実はこの限界集落の急増と不可分に結びついているという。

これらの集落に共通に見られるのは、国による植林政策に端をほっしているということだ。50年代住宅の需要が旺盛だったため、国は針葉樹の植林に対して補助金を出してまで奨励した。もともと日本の天然林はほとんどが広葉樹だったが、国や県が補助金を出して針葉樹の植林を奨励したため4割が針葉樹となった。田んぼを売って植林したためである。

しかし、国産杉の丸太の木材価格の80年をピークに1/3におちた。安い輸入木材に押された結果だ。 一度田んぼに植林すると、伐採されるまで数十年はその土地からの収入は無い。そのため、生計がなりたたなくなり、人々は土地を出て行く。 これで林業を放棄するものも続出。杉は植林して40年で売れるので、50年代に植林した人の多くは一度も売らずに放置し、8割近くが放置状態とされる。

その結果、山の手入れが十分にできなくなったため、山の保水能力が下がり、斜面の地すべり現象がおこっているという。針葉樹を間伐せずに放置すると木が密集する。広葉樹ほど葉が落ちないので、太陽の光が入らず下草が生えにくい。そのため土が乾き、地すべりを起こしやすくなる。

植林と耕作放棄により限界集落が急増している事実は、国土を痩せさせ災害の危機をふやしているだけでない。食料自給率が39%と先進国の中で極端に悪いこの事実に、国としての危機感をもたない人はいないだろう。

テレビの映像には、田んぼが広がっていた昔の写真とあわせて、現在の状況が映し出された。そこには、すっかり植林された山か、荒れ果てた田の現状が映し出されていた。林業自体が生計を立てていく事業として成り立たず、人が流出していくため、田畑を維持していくこともできなくなっているのだ。

棚田など相当の技術がなければできない。折角先人が苦労して開拓した耕地がすっかり荒れている。
限界集落で生きている人たちは、既に高齢化して、わずかに残った田畑で食料を生産しているのだが、その継続性はきわめて危うい。実は、彼らは先人の技術を残そうと努力している人たちだ。
その集落が消滅しようとしている。 そして、大きな先人の英知と食料を生み出す土地が失われようとしている。

私達の生活そのものが、大変な危機にさらされているのだ。
来週は、第二段として都市部に波及する限界集落が報じられるという。

少しでもなにかできることがあるのであれば、自分の手でなんとかしたいものだ。